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サーチナニュース 2016-01-02 22:15
http://news.searchina.net/id/1598661?page=1
中国共産党にとって「危険な兆候」?
山東省の農村で「中国最大の毛沢東像」を公開
山東省メディアの斉魯網によると、山東省済寧鄒城市郊外の八里村で12月26日、「現在の中国では最大」とされる毛沢東銅像の除幕式が行われた。
共産党は毛沢東について「過ちはあったが功績の方が大」と評価しているので規制は難しい。
しかし現在の毛沢東礼讃は「あの時代の方はよかった」、
つまり現政権への不満が込められている場合が多く、
共産党にとっては「危険な兆候」とも言える。
■小さな村に中国最大の「毛沢東像」 住人もこぞって費用寄付
銅像は13.97メートルで、うち毛沢東の体その者の高さは12.26メートルだ。
毛沢東の生誕日である26日に公開された。
費用は近隣住民も出しあった。「皆が出した資金」で作ったという。
共産党同村委員会の金慧委員は、中国で最も大きいという毛沢東の銅像を作った目的について、
「住民がいつでも来て毛沢東主席を仰ぎ見て、彼の精神を学び、青少年を教育し、人々が古い革命世代が与えてくれた幸福な生活を大切にするのに役立つように」
と説明した。
同記事は新浪網など中国の多くのメディアが転載した。
中国人にとっては大きな関心事と考えてよい。
■中国共産党の“苦しい”毛沢東評価「功績第一、過ち第二」
毛沢東は1958年末に「大躍進」政策に着手した。
数年で英国や米国を超えた経済を実現すると“豪語”したが、
現実も理論も無視した経済政策で経済の全分野が破綻し、2000万-5000万人の餓死者が出たとされる。
毛沢東は国家主席を引責辞任(党主席と中央軍事委員会主席は留任)。
後任の劉少奇国家主席やトウ小平は、市場原理を取り入れた経済建設を始めた。
毛沢東は劉少奇路線に反発し、権力奪回を決意。
そのために発動したのが文化大革命で「毛沢東礼讃」の大規模かつ過激な大衆運動で、劉少奇を失脚させた。
文革開始は1966年で、1976年の毛沢東死去で、終結に向かうことになった。
劉少奇は迫害死していたが、生き残ったトウ小平は中国最高の権力を掌握。
新体制にとって難しかったのが毛沢東の評価だった。
毛沢東を否定すれば、共産党の権威そのものが崩壊しかねない。
かといって、「文革を発動したのは毛沢東だった」という厳然たる事実がある以上、肯定もしにくい。
そこで中国共産党は1981年、「建国以来の党の若干の歴史問題についての決議」を採択。
トウ小平の意向を受け、毛沢東は新中国建設を成し遂げた偉大な功績があり、晩年に過ちがあったとはいえ「功績第一、過ち第二」との評価されることになった。
以後、共産党にとって同決議に疑問や異論を提出することは「タブー」になった。
■中国共産党が恐れる「毛沢東時代」礼讃の大衆運動
1980年時代後半にはすでに、「毛沢東の写真を車の運転台に飾る」などの流行が発生した。
文革時代のいやな思いでは忘れ、単純な「ノスタルジー」の感覚が優勢になったからだ。
「毛沢東グッズ」はその後も普通に存在したが、2000年ごろからは、「毛沢東に対する親近感」の質の変化が目立つようになった。
「文革時代は貧しかったが、格差はなかった」、
「官僚の腐敗も、ひどくなかった」
と、現政権の批判のうらはらとしての「毛沢東礼讃」の感情の強まりだ。
つまり共産党の現政権にとっては、毛沢東礼讃の高まりな「極めて危険な兆候」となる。
「毛沢東礼讃」の危険性が典型的に表れたのが共産党の重慶市委員会書記だった「薄熙来」事件だった。
同事件は極めて複雑であり、現在でもよく分からないことが多いが、共産党中央が最も衝撃を受けたのは薄書記が推進した革命歌を歌う「紅唱」運動に、重慶市の市民が積極的に参加したことだったとされる。
薄熙来は2000年ごろから、ポスト胡錦濤の候補の1人だったが、2007年には習近平が中央政治局常務委員に「二階級特進」で就任したことで、完全に逆転された。
そのため、「紅唱」を皮切りに大衆運動により「次期指導者は薄熙来がふさわしい」との世論を盛り上げることで「起死回生」を図ろうとしたとされる。
中国では文革時代の反省(またはトラウマ)があり、権力闘争に大衆運動を利用することはタブーと見なされている。
薄熙来はその後、さまざまな不正が発覚して失脚した。
それまで親密だった長老も薄熙来を擁護しなかったのは、薄熙来が始めた「文革時代を肯定」する大衆運動が大きな支持を得たことが、「あまりにも衝撃だった」ことが一因とされる。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2016年1月6日(水) 10時30分
http://www.recordchina.co.jp/a126460.html
河南省で金色に塗装された巨大な毛沢東像の建設進む、
総工費5500万円―中国
●5日、中国河南省通許県で中華人民共和国建国の父とされる故毛沢東主席の像の建設が進んでいる。
2016年1月5日、中国河南省通許県で中華人民共和国建国の父とされる故毛沢東主席の像の建設が進んでいる。
AFP通信が伝えた。
河南省通許県の村に建設されている毛沢東像の高さは約37メートルで、表面は金色に塗装されている。
地元メディアによると、総工費の300万元(約5500万円)は複数の企業家が拠出した。
中国版ツイッター・微博(ウェイボー)には、「大飢饉を忘れたのか?」といった批判的な書き込みがあるものの、寄せられているコメントの多くは像の建設を称賛するものだという。
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『
(c)AFP 2016年01月05日 18:36 発信地:開封/中国
http://www.afpbb.com/articles/-/3072157
高さ約37メートルの毛沢東像、中国・河南省で建設進む
●1月5日 AFP】中国河南(Henan)省開封(Kaifeng)市通許(Tongxu)県では、中国の建国の父とされる毛沢東(Mao Zedong)の巨大な像の建設が進んでいる。像の高さは36.6メートルで、総工費は300万元(約5500万円)だという。(c)AFP
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JB Press 2016.1.8(金) 柯 隆
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45716
中国がなかなか退治できない毛沢東の亡霊
今なお聞こえる文革を賛美する声
中国の旧暦では、まだ2016年になっていない。
春節(旧正月)を迎えてはじめて新年になるのだ。
中国人にとって2016年はどのような年になるのだろうか。
この設問に答える前に、まず自分にとっての2015年を振り返っておきたい。
これまでの1年間、筆者が集中的に読んだ本は、経済学の本に加えて中国の近現代史の本である。
なぜなら、筆者が中国で受けた教育では、本当の歴史がまるで空白のようになっているからだ。
大学受験の勉強では歴史的事件の背景や意義ばかり暗記させられ、歴史上の事実の多くは教わっていない。
歴史とは国、民族と文化の歩みであり、学者による意義づけよりも事実そのもののほうが重要だと考えている。
2016年は中国にとって、毛沢東(1893~1976年)が文化大革命(1966~76年)を発動してから50年目の節目の年にあたる。
同時に、文革が終わってから40年になる重要な年である。
今年はすべての中国人にとって、文革を検証し反省する年となる。
そして、その後の鄧小平による「改革・開放」政策(1978年~)の始まりを記念すべき大事な年だといえよう。
◆2000万人以上を餓死させ中国文化を破壊した毛沢東
中国では「国父」といえば毛沢東ではなく孫文(1866~1925年)である。
しかし、毛沢東はそれ以上の存在感を放っている。
今でも中国では、毛沢東は公式に批判できない存在だ。
鄧小平が復権してから、共産党はいちど公式文献のなかで文革を否定する総括をしたが、その後、公の場で文革を発動した毛沢東の責任を追及することはタブーとなった。
皮肉なことに鄧小平自身も文革の被害者である。
北京大学に在学していた鄧小平の長男は、文革の最中に迫害を受けて学生寮の上層階から飛び降り、命こそ助かったが下半身不随となった。
歴史的な事実を検証すると、毛沢東が犯したのは単なる過ちではなく、間違いなく犯罪であった。
まず、反右派闘争(反体制狩り)において数百万人もの知識人と共産党幹部が迫害された。
革命時に共に戦った同士の多くも迫害され、殺害された。
自殺に追い込まれたものも少なくない。
そして1950年代半ば、「英米に追いつき追い越す」ために毛沢東の鶴の一声で「大躍進」運動が繰り広げられた。農
民が鉄鋼生産に動員された結果、農産物が収穫されず、59年から61年までの3年間、中国は大飢饉に見舞われた。
公式の統計でもこの3年間において少なくとも2000万人が餓死したとされている。
大飢饉で餓死した人数はもっと多いという人口学者や歴史学者もいる。
中国共産党の公式文章では、この3年間の大飢饉は自然災害によるものとなっている。
しかし気象記録によれば、この3年間に中国で大飢饉をもたらすほどの自然災害は起きていない。
自然災害ではなく人災が大飢饉をもたらしたのである。
大飢饉を招いた張本人は紛れもなく毛沢東本人である。
しかし、毛は責任を負おうとはしなかった。
党内で沸き起こった毛沢東への批判を封じ込めるため、文化大革命を発動した。
その直接な狙いは一番の政敵だった劉少奇である。
政治には権力闘争がつきものである。
通常、権力闘争は権力者同士の争いである。
しかし毛沢東は全国民を巻き込んだ権力闘争を繰り広げた。
その結果、劉少奇と直接関係のない学校の先生や共産党幹部も多数迫害された。
振り返ってみれば、文革のときに知識人や共産党幹部を迫害し、中国の歴史的な文化財を破壊し尽くした紅衛兵自身も実は被害者であった。
彼らは貴重な青春時代を失い、若くして農村に下放された。
元紅衛兵たちは、今、中国各界のリーダーとなっている。
◆歴史の逆戻りは許されない
1つの民族や国にとって歴史は木の年輪のようなものである。
年輪の形を変えることはできない。
しかし中国の近現代史は政治的な必要性から大きく書き変えられている。
歴代の中国指導者は
「いかなる者も歴史を直視しなければならない」
と訴えてきたが、なぜか学校教育のなかで教わる歴史は大きく歪んだものになっている。
文革の始まりと終わりの節目となる重要な年に際して今の中国を観察すると、危機はまだ去っていないことが分かる。
というのも、毛沢東が残した負の遺産が中国を不安定化させているからである。
中国各界のリーダーの多くが元紅衛兵という現実から事態の深刻さが分かるはずだ。
文革のときに青春期を過ごした者はまともな学校教育を受けておらず、まっとうな人格形成もなされていない。
彼らは政治的必要性が認められれば、平気で人権など無視してしまう。
文革の世代は法律を無視する世代でもあった。
習近平国家主席は就任してから、法治の強化を繰り返して強調している。
しかし中国では司法の強化が遅れている。
法律が強化されても、法律が順守されていないのである。
法の秩序が乱れる一番の原因は特権階級の存在にある。
特権階級は法の訴追を免れることが多い。
これは毛沢東時代から始まったものだ。
逆に正規の裁判を経ずに政敵や“政治犯”などを投獄してしまうことも多い。
2016年は習近平政権にとって、1期目の政権を安定させて2期目の政権構築の準備を行う過渡期にあたる。
しかし、「毛沢東と文革」の負の遺産をきちんと清算しなければ、法による統治は強化されず、社会は安定しない。
習近平国家主席がどれだけ汚職幹部の撲滅に取り組んでも徒労に終わるだけだ。
近年、中国社会では、毛沢東の時代を評価し賛美する保守左派の動きが台頭している。
これは中国社会の病根だといえよう。
毛沢東を完全に否定しなければ政治改革は行われない。
中国社会の不安定性は当面続くものと思われる。
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『
時事通信 (2016/01/09-07:10)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2016010900066
36メートル金色の毛沢東像、解体される
=農村に完成も「審査経ず」-中国
【北京時事】中国河南省開封市通許県の農村に造られた金色の巨大な毛沢東像が突然、取り壊された。
共産党機関紙・人民日報のニュースサイト「人民網」が8日伝えた。
毛沢東をめぐっては中国国内で評価が分かれており、巨大像の完成は内外で話題となっていた。
毛沢東像の高さは36メートル超。
鉄筋とセメントで造られ、金色に塗られた。
数人の企業家と村民が約300万元(約5300万円)を投じて建造し、昨年12月にほぼ完成した。
人民網によると、地元政府は「登記や審査を経ておらず、既に取り壊した」と明らかにした。
インターネット上では取り壊しに関して
「偉人への侮辱だ。解体は当然だ」
「毛沢東を神とするのは良くない」
などの書き込みがあった。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2016年1月9日(土) 13時30分
http://www.recordchina.co.jp/a126688.html
黄金の巨大毛沢東像、早くも取り壊し
=地元政府が世論の批判恐れた可能性も―中国メディア
8日、人民網は記事「河南省農村の36メートル黄金毛沢東像、無認可建築として政府が取り壊し」を掲載した。
企業家や村人の募金約5360万円で造られた巨大像だが、地元政府により取り壊されてしまった。
2016年1月8日、人民網は記事「河南省農村の36メートル黄金毛沢東像、無認可建築として政府が取り壊し」を掲載した。
2016年初頭から中国ネットの話題をさらったのが「36メートル黄金毛沢東像」だ。
河南省開封市通許県の孫営郷朱氏崗村という、辺ぴな農村に故毛沢東主席の巨大な像が出現したとのニュースが話題となった。
鉄筋コンクリート造りで金色のペンキを塗ったものだが、総工費は300万元弱(約5360万円弱)。企業家や村民の募金によって建てられたという。
多くの人が集まって記念撮影していたというが、この新たな観光名所は短命だった。
ニュースを受け、現地政府は無認可建築としてただちに取り壊したという。
ただし具体的になんの認可が必要だったのかは不明だ。
大きな騒ぎになったため、批判を避けるため壊した可能性もありそうだ。
』
『
TBS系(JNN) 1月11日(月)14時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160111-00000030-jnn-int
中国で建造中だった毛沢東国家主席の黄金像が突然撤去
中国の農村で建設が進められていた故・毛沢東国家主席の巨大な黄金像が、突然取り壊されました。
中国・河南省に建てられた毛沢東主席の金色の巨大な像。高さはおよそ37メートルにおよびます。
今月4日に撮影された写真では、建造中であることがわかりますが、9日、像はあとかたもなく撤去されています。
ロイター通信によりますと、この像は、地元の実業家らが300万元=およそ5300万円をかけて建造を進めていましたが、地元当局が突如、取り壊しを決めたというのです。
撤去の詳しい理由は明らかになっていませんが、地元メディアは、行政手続きの不備などを可能性としてあげています。
河南省では、1950年代から60年代にかけて飢饉で多くの餓死者が出ていて、黄金の像の建設については、SNSなどを中心に批判的な投稿が相次いでいたということです。
』
『
ニューズウイーク 2016年1月12日(火)13時53分 遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/01/post-4354.php
河南省、巨大な毛沢東像建造と撤去
――中国人民から見た毛沢東と政府の思惑
●河南省に建てられた36.6メートルの毛沢東像 REUTERS
河南省農村の空き地に300万元を使って建てられた36.6メートルの毛沢東像が1月8日に取り壊された。
庶民はなぜ毛沢東の巨像を建て、
そして中国政府はなぜ取り壊しを命じたのか?
人民と習近平政権にとっての毛沢東とは何か?
◆総工費300万元(約5400万円)かけて建てた毛沢東巨像
2016年1月4日、中国のネットユーザーがアップした情報に基づいて、翌5日に香港の鳳凰資訊が伝えた。
河南省開封市通許県孫営郷朱氏崗村という片田舎の空き地に、中国建国の父である毛沢東の巨像が建てられたというのだ。
その高さは36.6メートルで表面は金色に塗られている。
村の数名の企業家と現地村民の有志たちが300万元を拠出して建造したという。
ここは荒地の非農耕地なので、村役場に届け出をせずに、2015年3月に着工し、年末にほぼ出来上がった。
地元当局は登記や審査を経ていない「違法建造物」であるとして、1月8日に、いきなり取り壊しにかかってしまった。
その取り壊し現場を報道した画像(同じく香港の鳳凰ウェブサイト:後述)があるので、それをご覧いただきたい。
建てるのも常識外のスケールだが、それをいきなり取り壊すというのも、ちょっと「あり得ない」動き方だ。
未登記であるなら罰金でも科して、登記再申請でもさせればいいではないかと思うが、そうしないところに、現在の中国の
「毛沢東に対する微妙な思い」
がある。
県の文化局によれば、
「朱氏崗村は観光地では片田舎なので、そのように地における彫像建築は、決して観光文化管理規定には触れず、したがって行政の文化部門が審査に当たる対象ではない」
と責任の追及を逃れている。
現地の園林部門はまた、
「われわれは城鎮(都市と町)における彫像なら審査対象とするが、農村に関しては管轄外だから...」
と、ここも責任逃れをしている。
取り壊したのは、県の監察大隊であるという。
◆人民の中における「毛沢東」
毛沢東がどれほど多くの中国人民を殺戮したか、今さら言うまでもないだろう。
中国人による推計によって、5千万人とも7千万人とも言われている。
それも中華人民共和国(現在の中国)が建国されたあとの、「戦争のない時代」に殺した人民の数だけだから、すべて政治闘争あるいはイデオロギー闘争のためだったと言えよう。
「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」ではないが、その毛沢東を中国人民が懐かしみ始めたのは、90年代末、あるいは2000年に入ったころのことだった。
毛沢東が1976年に他界すると、1978年12月から改革開放が始まった。
それまで金儲けをする人は反革命的大罪人として投獄されていたのに、鄧小平は「先に富める者から富め」という先富論を唱えて金儲けを奨励した。
自由競争が許される中で一党支配体制だけは崩さなかったので、当然のことながら貧富の格差は拡大し、「苦しむ貧しい人民の味方」であったはずの中国共産党の幹部が巨万の富を謳歌する極少数の利権集団と化し、「人民中国」は消えた。
そのため、富から取り残された多くの人民は
「毛沢東時代は貧乏だったけど、平等で良かった」
と懐かしむようになり、毛沢東の小さな銅像をお守り代わりにしてネックレスにしたり、車にぶら下げたりすることがはやり始めた。
もっとも顕著な動きは、健康のために朝の公園で太極拳などをする高齢者たちが、あちこちに輪を作って革命歌を歌うようになったことだ。
革命は「紅い」ので、これを「紅歌」と称する。
「唱紅歌(革命歌を歌う)」現象は、全国的に広まっていき、やがて社会現象となり始めた。
筆者はこれを「紅いノスタルジー」と命名し、その行動を追いかけてきた。
2007年に薄熙来(はく・きらい)が、チャイナ・ナイン(中共中央政治局常務委員9名)に入れず、重慶市書記になると、この「唱紅歌」現象に目をつけ、自らを「毛沢東の再来」として毛沢東回帰により人民を惹きつけた。
人民に対する人気を見せ付けて、
「これでも、この俺様をチャイナ・ナインに入れないつもりか?」
とチャイナ・ナインを威嚇し、個人崇拝をあおって結局逮捕されてしまった薄熙来。
人民のボトムアップの「紅いノスタルジー」を自らの野心に利用した失敗例だった。
◆薄熙来を真似て(?)
「毛沢東回帰」をしている習近平国家主席
個人崇拝をあおった薄熙来は、「文化大革命の再来を招く危険人物」として、今は牢獄で終身刑の身を噛みしめている。
だというのに、いま習近平は薄熙来の真似をしているのではないかと噂されている。
薄熙来よりも「毛沢東回帰」が激しく、まるで自分は「第二の毛沢東だ」という言動ばかりしている。
そもそも「虎もハエも同時にたたく」という反腐敗運動は、毛沢東の「大虎も子虎も同時にたたく」の言い換えであり、風紀を正すための「四風運動」は、毛沢東が延安時代に行った「整風運動」の模倣である。
(拙著『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』のp.238で説明したが、
「整風運動」は「形式主義、官僚主義、享楽主義」を取り締まって風紀を正そうという運動で、
「四風運動」とは「形式主義、官僚主義、享楽主義、ぜいたく主義」を取り締まって党内の風紀を正そうとする運動である。
毛沢東の「整風」に「ぜいたく禁止令」を付け加えただけで、すべて毛沢東の物真似だ。)
「虎の威を借る狐」よろしく、まさに毛沢東の権威に頼って、何とか自分の「紅い皇帝」としての権威を保とうとしているとしか思えない。
こうしてボトムアップだったはずの庶民の「紅いノスタルジー」は政治利用されて、上から「大衆路線教育」という形で、毛沢東時代の思想教育が施されるようになった。
これまで貧富の格差に対する不満から抱いていた「毛沢東への紅いノスタルジー」は、一種の「反政府的ベクトル」を持っていた。
ところが、それが政府によって許可されたとなると、
金持ち連が「自分がいかに政府を肯定しているか」を見せようとして、
中国全土に「毛沢東像建造熱」を招き始めたという側面も出てきた。
2015年12月26日、山東省寧鄒(すう)城市后八里村に12.26メートルの毛沢東像が建てられ開幕式も盛大に行われた。
建てるための費用は后八里村が集めた資金だという。
12.26メートルという高さは、毛沢東の誕生日である「12月26日」にちなんだものだ。
河南省の毛沢東像は取り壊されたのに、なぜ山東省の銅像は取り壊されていないのだろうか?
もちろん中国政府系列のメディアは、「河南省の毛沢東像は建造のための登記審査を受けていなかったから」というものだが、どうもその辺はしっくり来ない。
本当の理由は、
「習近平の権威よりも遥かに上に行き、
毛沢東への個人崇拝を過度に強調しすぎるのは好ましくない」
ということではないかと、筆者には思えるのである。
さもなかったら、何も壊す必要はなく、再登記させて審査を受ければいいだけのことである。
繰り返しになるが、罰金でも科せば済んだのではないだろうか。
この辺のさじ加減は微妙だ。
◆宗教になりつつある共産主義思想
中国の履歴書には「信仰」という項目があり、そこに「共産主義」と書くのが模範解答だ。
どんなに「先に富む者が先に富んでも」、
現在の中国に存在するのはチャイナ・マネーに対する熱情であって、
本当の心の支えになるものは存在しない。
モラルなど、どこかに行ってしまった。
さらに、自由と民主が許されない中国においては、心の支えになるものとして、キリスト教徒か仏教といった本当の宗教が水面下で蔓延しつつあるが、それは共産党政権の好むところではない。
彼らは共産主義をこそ「信仰の核心」にしてほしいのだ。
そのために「毛沢東を信仰する」ことは歓迎的だ。
しかし、それは「習近平への個人崇拝」を超えてはならないのである。
そしてそれはまた、虐げられた貧困層が、反政府的な象徴として「毛沢東」を位置づけてもならないのである。
「毛沢東」をどのように位置づけるかは、中国にとって実に微妙なコントロールを要する対象である。
それが今回の河南省の毛沢東の取り壊しにあると考えるべきだろう。
』
『
鳳凰ウェブサイト 2016.01.10 09:18
http://news.ifeng.com/a/20160110/47010198_0.shtml#p=1
河南36米高毛泽东像被拆现场
近日有媒体报道称,在河南省开封市通许县朱氏岗村,当地村民集资建造了一座36米高的金色毛泽东雕塑,引发社会关注。对此,河南当地政府部门表示,该雕塑未经过登记、审核;现已拆除。报道称,这座巨型毛主席雕塑建在通许县朱氏岗村西北角。雕塑坐北朝南,由钢筋和水泥筑成,外面一层金色漆。雕塑设计高度为36.6米,由几名企业家投资建造,其中村里一部分人捐款数万元,总造价近300万元。图为拆除画面。
』
【激甚化する時代の風貌】
時事通信 (2016/01/09-07:10)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2016010900066
36メートル金色の毛沢東像、解体される
=農村に完成も「審査経ず」-中国
【北京時事】中国河南省開封市通許県の農村に造られた金色の巨大な毛沢東像が突然、取り壊された。
共産党機関紙・人民日報のニュースサイト「人民網」が8日伝えた。
毛沢東をめぐっては中国国内で評価が分かれており、巨大像の完成は内外で話題となっていた。
毛沢東像の高さは36メートル超。
鉄筋とセメントで造られ、金色に塗られた。
数人の企業家と村民が約300万元(約5300万円)を投じて建造し、昨年12月にほぼ完成した。
人民網によると、地元政府は「登記や審査を経ておらず、既に取り壊した」と明らかにした。
インターネット上では取り壊しに関して
「偉人への侮辱だ。解体は当然だ」
「毛沢東を神とするのは良くない」
などの書き込みがあった。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2016年1月9日(土) 13時30分
http://www.recordchina.co.jp/a126688.html
黄金の巨大毛沢東像、早くも取り壊し
=地元政府が世論の批判恐れた可能性も―中国メディア
8日、人民網は記事「河南省農村の36メートル黄金毛沢東像、無認可建築として政府が取り壊し」を掲載した。
企業家や村人の募金約5360万円で造られた巨大像だが、地元政府により取り壊されてしまった。
2016年1月8日、人民網は記事「河南省農村の36メートル黄金毛沢東像、無認可建築として政府が取り壊し」を掲載した。
2016年初頭から中国ネットの話題をさらったのが「36メートル黄金毛沢東像」だ。
河南省開封市通許県の孫営郷朱氏崗村という、辺ぴな農村に故毛沢東主席の巨大な像が出現したとのニュースが話題となった。
鉄筋コンクリート造りで金色のペンキを塗ったものだが、総工費は300万元弱(約5360万円弱)。企業家や村民の募金によって建てられたという。
多くの人が集まって記念撮影していたというが、この新たな観光名所は短命だった。
ニュースを受け、現地政府は無認可建築としてただちに取り壊したという。
ただし具体的になんの認可が必要だったのかは不明だ。
大きな騒ぎになったため、批判を避けるため壊した可能性もありそうだ。
』
『
TBS系(JNN) 1月11日(月)14時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160111-00000030-jnn-int
中国で建造中だった毛沢東国家主席の黄金像が突然撤去
中国の農村で建設が進められていた故・毛沢東国家主席の巨大な黄金像が、突然取り壊されました。
中国・河南省に建てられた毛沢東主席の金色の巨大な像。高さはおよそ37メートルにおよびます。
今月4日に撮影された写真では、建造中であることがわかりますが、9日、像はあとかたもなく撤去されています。
ロイター通信によりますと、この像は、地元の実業家らが300万元=およそ5300万円をかけて建造を進めていましたが、地元当局が突如、取り壊しを決めたというのです。
撤去の詳しい理由は明らかになっていませんが、地元メディアは、行政手続きの不備などを可能性としてあげています。
河南省では、1950年代から60年代にかけて飢饉で多くの餓死者が出ていて、黄金の像の建設については、SNSなどを中心に批判的な投稿が相次いでいたということです。
』
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ニューズウイーク 2016年1月12日(火)13時53分 遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/01/post-4354.php
河南省、巨大な毛沢東像建造と撤去
――中国人民から見た毛沢東と政府の思惑
●河南省に建てられた36.6メートルの毛沢東像 REUTERS
河南省農村の空き地に300万元を使って建てられた36.6メートルの毛沢東像が1月8日に取り壊された。
庶民はなぜ毛沢東の巨像を建て、
そして中国政府はなぜ取り壊しを命じたのか?
人民と習近平政権にとっての毛沢東とは何か?
◆総工費300万元(約5400万円)かけて建てた毛沢東巨像
2016年1月4日、中国のネットユーザーがアップした情報に基づいて、翌5日に香港の鳳凰資訊が伝えた。
河南省開封市通許県孫営郷朱氏崗村という片田舎の空き地に、中国建国の父である毛沢東の巨像が建てられたというのだ。
その高さは36.6メートルで表面は金色に塗られている。
村の数名の企業家と現地村民の有志たちが300万元を拠出して建造したという。
ここは荒地の非農耕地なので、村役場に届け出をせずに、2015年3月に着工し、年末にほぼ出来上がった。
地元当局は登記や審査を経ていない「違法建造物」であるとして、1月8日に、いきなり取り壊しにかかってしまった。
その取り壊し現場を報道した画像(同じく香港の鳳凰ウェブサイト:後述)があるので、それをご覧いただきたい。
建てるのも常識外のスケールだが、それをいきなり取り壊すというのも、ちょっと「あり得ない」動き方だ。
未登記であるなら罰金でも科して、登記再申請でもさせればいいではないかと思うが、そうしないところに、現在の中国の
「毛沢東に対する微妙な思い」
がある。
県の文化局によれば、
「朱氏崗村は観光地では片田舎なので、そのように地における彫像建築は、決して観光文化管理規定には触れず、したがって行政の文化部門が審査に当たる対象ではない」
と責任の追及を逃れている。
現地の園林部門はまた、
「われわれは城鎮(都市と町)における彫像なら審査対象とするが、農村に関しては管轄外だから...」
と、ここも責任逃れをしている。
取り壊したのは、県の監察大隊であるという。
◆人民の中における「毛沢東」
毛沢東がどれほど多くの中国人民を殺戮したか、今さら言うまでもないだろう。
中国人による推計によって、5千万人とも7千万人とも言われている。
それも中華人民共和国(現在の中国)が建国されたあとの、「戦争のない時代」に殺した人民の数だけだから、すべて政治闘争あるいはイデオロギー闘争のためだったと言えよう。
「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」ではないが、その毛沢東を中国人民が懐かしみ始めたのは、90年代末、あるいは2000年に入ったころのことだった。
毛沢東が1976年に他界すると、1978年12月から改革開放が始まった。
それまで金儲けをする人は反革命的大罪人として投獄されていたのに、鄧小平は「先に富める者から富め」という先富論を唱えて金儲けを奨励した。
自由競争が許される中で一党支配体制だけは崩さなかったので、当然のことながら貧富の格差は拡大し、「苦しむ貧しい人民の味方」であったはずの中国共産党の幹部が巨万の富を謳歌する極少数の利権集団と化し、「人民中国」は消えた。
そのため、富から取り残された多くの人民は
「毛沢東時代は貧乏だったけど、平等で良かった」
と懐かしむようになり、毛沢東の小さな銅像をお守り代わりにしてネックレスにしたり、車にぶら下げたりすることがはやり始めた。
もっとも顕著な動きは、健康のために朝の公園で太極拳などをする高齢者たちが、あちこちに輪を作って革命歌を歌うようになったことだ。
革命は「紅い」ので、これを「紅歌」と称する。
「唱紅歌(革命歌を歌う)」現象は、全国的に広まっていき、やがて社会現象となり始めた。
筆者はこれを「紅いノスタルジー」と命名し、その行動を追いかけてきた。
2007年に薄熙来(はく・きらい)が、チャイナ・ナイン(中共中央政治局常務委員9名)に入れず、重慶市書記になると、この「唱紅歌」現象に目をつけ、自らを「毛沢東の再来」として毛沢東回帰により人民を惹きつけた。
人民に対する人気を見せ付けて、
「これでも、この俺様をチャイナ・ナインに入れないつもりか?」
とチャイナ・ナインを威嚇し、個人崇拝をあおって結局逮捕されてしまった薄熙来。
人民のボトムアップの「紅いノスタルジー」を自らの野心に利用した失敗例だった。
◆薄熙来を真似て(?)
「毛沢東回帰」をしている習近平国家主席
個人崇拝をあおった薄熙来は、「文化大革命の再来を招く危険人物」として、今は牢獄で終身刑の身を噛みしめている。
だというのに、いま習近平は薄熙来の真似をしているのではないかと噂されている。
薄熙来よりも「毛沢東回帰」が激しく、まるで自分は「第二の毛沢東だ」という言動ばかりしている。
そもそも「虎もハエも同時にたたく」という反腐敗運動は、毛沢東の「大虎も子虎も同時にたたく」の言い換えであり、風紀を正すための「四風運動」は、毛沢東が延安時代に行った「整風運動」の模倣である。
(拙著『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』のp.238で説明したが、
「整風運動」は「形式主義、官僚主義、享楽主義」を取り締まって風紀を正そうという運動で、
「四風運動」とは「形式主義、官僚主義、享楽主義、ぜいたく主義」を取り締まって党内の風紀を正そうとする運動である。
毛沢東の「整風」に「ぜいたく禁止令」を付け加えただけで、すべて毛沢東の物真似だ。)
「虎の威を借る狐」よろしく、まさに毛沢東の権威に頼って、何とか自分の「紅い皇帝」としての権威を保とうとしているとしか思えない。
こうしてボトムアップだったはずの庶民の「紅いノスタルジー」は政治利用されて、上から「大衆路線教育」という形で、毛沢東時代の思想教育が施されるようになった。
これまで貧富の格差に対する不満から抱いていた「毛沢東への紅いノスタルジー」は、一種の「反政府的ベクトル」を持っていた。
ところが、それが政府によって許可されたとなると、
金持ち連が「自分がいかに政府を肯定しているか」を見せようとして、
中国全土に「毛沢東像建造熱」を招き始めたという側面も出てきた。
2015年12月26日、山東省寧鄒(すう)城市后八里村に12.26メートルの毛沢東像が建てられ開幕式も盛大に行われた。
建てるための費用は后八里村が集めた資金だという。
12.26メートルという高さは、毛沢東の誕生日である「12月26日」にちなんだものだ。
河南省の毛沢東像は取り壊されたのに、なぜ山東省の銅像は取り壊されていないのだろうか?
もちろん中国政府系列のメディアは、「河南省の毛沢東像は建造のための登記審査を受けていなかったから」というものだが、どうもその辺はしっくり来ない。
本当の理由は、
「習近平の権威よりも遥かに上に行き、
毛沢東への個人崇拝を過度に強調しすぎるのは好ましくない」
ということではないかと、筆者には思えるのである。
さもなかったら、何も壊す必要はなく、再登記させて審査を受ければいいだけのことである。
繰り返しになるが、罰金でも科せば済んだのではないだろうか。
この辺のさじ加減は微妙だ。
◆宗教になりつつある共産主義思想
中国の履歴書には「信仰」という項目があり、そこに「共産主義」と書くのが模範解答だ。
どんなに「先に富む者が先に富んでも」、
現在の中国に存在するのはチャイナ・マネーに対する熱情であって、
本当の心の支えになるものは存在しない。
モラルなど、どこかに行ってしまった。
さらに、自由と民主が許されない中国においては、心の支えになるものとして、キリスト教徒か仏教といった本当の宗教が水面下で蔓延しつつあるが、それは共産党政権の好むところではない。
彼らは共産主義をこそ「信仰の核心」にしてほしいのだ。
そのために「毛沢東を信仰する」ことは歓迎的だ。
しかし、それは「習近平への個人崇拝」を超えてはならないのである。
そしてそれはまた、虐げられた貧困層が、反政府的な象徴として「毛沢東」を位置づけてもならないのである。
「毛沢東」をどのように位置づけるかは、中国にとって実に微妙なコントロールを要する対象である。
それが今回の河南省の毛沢東の取り壊しにあると考えるべきだろう。
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鳳凰ウェブサイト 2016.01.10 09:18
http://news.ifeng.com/a/20160110/47010198_0.shtml#p=1
河南36米高毛泽东像被拆现场
近日有媒体报道称,在河南省开封市通许县朱氏岗村,当地村民集资建造了一座36米高的金色毛泽东雕塑,引发社会关注。对此,河南当地政府部门表示,该雕塑未经过登记、审核;现已拆除。报道称,这座巨型毛主席雕塑建在通许县朱氏岗村西北角。雕塑坐北朝南,由钢筋和水泥筑成,外面一层金色漆。雕塑设计高度为36.6米,由几名企业家投资建造,其中村里一部分人捐款数万元,总造价近300万元。图为拆除画面。
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【激甚化する時代の風貌】
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