生物は個体数が過剰化すると、生態的に生殖を抑える遺伝子が働くと考えられる。
生物は絶対的に限られた環境で生きている。
その環境を押し広げるために技術が使われる。
しかし、それでも限界はある。
この地球と言う星が養える人口数は無限ではない。
同じように日本列島が養える人口数も無限ではない。
日本は唯一、先進国として究極とも思える人口密度国家になった。
準先進国としては台湾と韓国が日本より大きい密度を持っている。
先進国ではほぼ同じ国土をもつドイツは日本の「68%」の人口密度である。
イギリスにいたっては日本の「75%」の密度である。
日本では経済成長は終わり、成熟経済の時代へ入っている。
そこでは人口はボーナスにはならず、「不良債権」になる。
与えられた自然社会的環境が人口を支えられなくなる。
生物は「自己保存の原理」で未来へ種を残そうとする。
増えすぎた種は個体数の減少方向へを本能的にコントロールする。
減りすぎた種は個体数の増加方向へ本能をコントロールする。
「本能的にコントロールする」とは、言い換えるとDNAに刷り込まれる、ともいえる。
おそらくはそのために、恋愛とか結婚とか生殖が制御されるのであろう。
少子化が進み適度な人口から、少な目の人口へと移り変わったとき、おそらくDNAに人口増殖の遺伝子指令が刷り込まれるのではないだろうか。
それが発生するのは、おそらく半世紀後だろう。
人工増殖が始まったのはベビーブーム時代からである。
そこから今は2/3世紀になる。
人口はピークを過ぎて少しづつ減り始めている。
とすれば、人口が増加に転じるのが半世紀後としても不思議はない。
ちなみに言うと、中国の人口密度は日本の4割であり、アメリカの人口密度は中国の25%に過ぎない。
『
サーチナニュース 2016-01-10 15:33
http://news.searchina.net/id/1599315?page=1
日本人はなぜ恋愛も結婚もしなくなったのか?
中国人には理解不能?
中国では、ある程度大きくなった子どもに対し、メンツのために結婚や出産を強要することが今でも見受けられる。
また、一人っ子政策の影響と思われるが、男女比が歪み、圧倒的に男性が多い人口構成となっている。
そのため結婚相手を見つけられない男性が大勢存在する。
そんな中国から見ると、恋愛も結婚もしたがらない一部の日本人が不思議でしようがないようだ。
中国メディアの新華網は6日、日本では結婚も恋愛もしたがらない人が増えていると伝え、少子高齢化の進む日本の現状を紹介した。
記事は、結婚しない日本人が増えている
★.1つ目の理由として「恋愛が面倒」と感じている人が増えている
ことを挙げた。
2015年に行われた調査の結果を引用し、
「日本の20歳以上の若者のうち、74.3%が現在恋人がいない」、
「20歳以上の独身者のうち、
40%に達する日本人が“そもそも恋人が欲しくない”と答えた」
と驚きを示し、多くの回答者が
「恋愛は面倒」
または
「時間を趣味に使いたい」
と答えたことを紹介した。
さらに、
★.2つ目の理由として「良い見本が少ない」
ことを挙げた。
専門家の意見として
「日本の若い世代の両親が1日中喧嘩をしたり、離婚したりしている」
と伝え、結婚したがらない日本人は結婚生活がそれほど幸せではないと感じていると指摘。
もっとも身近で影響力のある両親が結婚生活における良い見本となっていない様子を伝えた。
また記事は
★.3つ目の理由として「デート代がない」
ことを紹介。
ある日本の若者の月収は15万円で、毎月の借金返済や生活必需品を購入したら、2万円から5万円しか残らないとし、貧困問題が結婚から日本人を遠ざけていることを紹介した。
中国では今でも、恋愛感情の有無に関係なく、結婚して子どもをもうけることを親に要求されるケースが多いように見受けられる。
大人になったら結婚して、子どもを持つというのが昔からの流れだからだろう。
結果として不幸な結婚関係も多いのだが、そんな中国人にとっては「結婚しない、恋愛しない」というのは考えられない状況かもしれない。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2016年1月10日(日) 17時50分
http://www.recordchina.co.jp/a126581.html
日本の若者はなぜ恋愛も結婚もしたがらない?
=「今の日本は将来の中国」
「俺を日本に連れて行ってくれ」―中国ネット
2016年1月10日、中国メディア・環球資訊はこのほど、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で、日本の若者は恋愛も結婚もしたがらないと伝えた。
少子高齢化問題が進んでいる日本では、若者が恋愛も結婚もしたがらないことが問題をさらに深刻化させている。
2015年の調査によると、20代の若者のうち74.3%が恋愛をしていないと回答した。
1996年の同様の調査では50%にすぎなかった。
』
『
サーチナニュース 2016-01-15 09:53
http://news.searchina.net/id/1599790?page=1
「1人っ子」撤廃だけど
・・・中国では今後子ども増えずにロボット増える
中国メディア・参考消息は12日、「1人っ子政策」が撤廃され第2子の出産が認められた中国において、実際には多くの家庭が第2子を養えない状況であり、「1人っ子」の孤独を案じた親がロボットを多数購入するようになるとした英紙・タイムズの11日付報道を伝えた。
記事は、子どもを持つある北京市民が、楽しみながら学べる教育ロボットを購入、
「これはオモチャではなく、パートナーやペットのようなもの」
と語るとともに、ロボットの存在により
「息子が携帯電話やパソコンを使う時間が減った。
しかも、伝統文化まで学ばせてくれる」
と語ったことを紹介した。
そして、中国国内で急速に増殖するロボットメーカーが、政府やロボットに興味のある富裕層の支持を得ており、今年はより多くの中産階級家庭に「子どもを喜ばせるためにロボットを購入」してもらうことを望んでいるとした。
そのうえで、数十年に及ぶ厳しい出産制限政策を経てようやく国民に第2子出産が認められた中国だが、
「多くの人は第2子を育てることができない。
1人でいっぱいいっぱいだ。
親は子どもが将来孤独になることを案じている」
とする中国ロボット企業CEOのコメントを紹介。
子どもの孤独感を和らげるために、親がさまざまなロボットを購入するようになる可能性があることを伝えた。
長期間の「1人っ子政策」が招いた少子化に伴い、急速な勢いで高齢化が進むと予測されるなか、中国政府は同政策を完全に見直して「2人っ子政策」へと変更した。
しかし、2人目を生むための社会的なサポート体制は整っていないこと、出産・育児コストが高いことから、実際に2人目を産んで育てる選択をする家庭がどれほどあるかは未知数だ。
社会のさまざまな分野にロボットが進出し、ロボットたちが家族の一員になる日もやってくるだろうが、「子どもの孤独を紛らわすため」のロボット普及というのは一抹の寂しさも感じはしないだろうか。
』
【資料】
『
レコードチャイナ 配信日時:2015年12月6日(日) 5時30分
http://www.recordchina.co.jp/a124506.html
中国の独身者人口、2億人に迫る
―自ら独身を選ぶ女性が増加―中国メディア
2015年12月4日、界面網によると、中国国家民政局はこのほど発表した人口統計で
「独身の男女が2億人に迫り、特に自ら独身であることを選ぶ女性が増えている」
と発表した。
中国の独身者人口は1990年の6%から13年には14.6%に倍増。単身世帯は5800万人を超えている。
中国には「第4次独身ブーム」が到来しているとされるものの「社会的観念や制度は変化に追いついていない」との指摘もある。
中国では都会に暮らす独身女性が、男性たちから「恋愛を遊びととらえている」と指摘される一方、農村では結婚できない男性の増加が深刻となっている。
独身の男女は11年の時点ですでに1億8000万人に達していた。
一方、台湾でも独身者が増加している。
12年に15歳以上の独身者人口は全体の42%(939万人)に増加。
日本も同様で、30年には独身者が男性の30%、女性の23%に達するとみられている。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2016年1月14日(木) 20時30分
http://www.recordchina.co.jp/a126974.html
世界の移民数2億4400万人に、
受け入れ最多は米国、
中国は出身国4位―中国メディア
2016年1月13日、中国新聞社によると、国連が12日に発表した移民に関する報告書(2015年改訂版)から、2015年時点での世界の移民数は2億4400万人に上ることが明らかになった。
移民を最も多く受け入れている国は米国。
移民出身国はインドが最大で、中国は4位だった。
この移民数は出生国とは別の国で生活している人の数を指し、難民も含まれている。
国連の統計では、2000年時点と比べると、移民の数は7100万人増加し、41%増えたことになる。
2億4400万人のうち、難民は約2000万人。
移民の増加は世界人口の増加よりもペースが速くなっている。
現在、受け入れている移民が最も多い国は
1].米国で約4700万人。
2].ドイツ、
3].ロシア
と続き、ともに約1200万人。
移民出身国は
1].インドが最大で約1600万人。
2].メキシコ、
3].ロシアと続き、
4].中国は約1000万人で4位。
2015年には100万人を超える膨大な数の移民・難民が欧州に流入したが、その多くは戦火を逃れてきたシリア人、アフガニスタン人、イラク人とされ、難民増加の背景には過激派組織「イスラム国(IS)」によるテロや恐怖政治がある。
国連はこうした大規模な難民危機に対応するため、9月の国連総会で特別会議を開き、関連問題について議論を交わすことを予定している。
』
サーチナニュース 2016-01-19 10:41
http://news.searchina.net/id/1600096?page=1
日本は豊かでお金もあるのに!
なぜ日本人は自転車に乗るのか=中国
自転車天国と言えばオランダが有名だ。かつての中国も自転車大国だったが、経済成長にともない、自動車を所有する人が増え、大量の人が自転車を漕ぐ光景はなかなか見られなくなった。
中国国営通信の新華網はこのほど、
「日本人はお金を持っているのに、なぜ日本では自転車が普及しているのか」
と題する記事を掲載し、日本特有の自転車文化を紹介した。
記事は、自転車の平均保有数で
オランダが人口100人当たり109台で世界最多であることを紹介し、
日本は68台で世界6位、
中国は31台で17位
だと指摘。
人口あたりの自転車保有台数ではもはや日本のほうが中国を上回っていることを紹介。
一方で、経済的に豊かな日本で自転車が愛される背景には、
★.人口密度が高いうえに道路が狭く、
我慢強い性格ゆえに「日本独特の自転車文化が形成された」
と考察している。
日本独特の自転車文化の具体的な例として、日本では自転車の歩道通行が認められていることを挙げている。
これは日本以外ではノルウェーにしかない規定だという。
また、歩道では歩行者優先であり、自転車に乗っている人はベルを鳴らさずに「すみません」と一声かけることや、2人乗りや傘を差しながらの運転といった危険行為が見られた場合、日本では自転車に対して厳しい罰則が設けられていることを挙げている。
では、日本人が自転車に好んで乗るのはなぜなのだろうか?
記事はその理由を3つあるとした。
1つは「便利さ」だ。
道が狭く人口が密集しているため、5分もあればコンビニなどへ行くことができるが、「日常生活の問題を解決するのに自転車は理想的な道具」だと説明した。
2つ目の点は「効率的」であることだ。
大都市においては自動車の場合は駐車場所の確保が難しいため、自転車と電車を組み合わせて出勤したほうが効率的だと指摘。
3つ目の点は「健康的」であること。
普段忙しくて運動できない人にとって、自転車は手軽な健康増進法になるという。
ほかにも、日本映画に自転車の場面が多いことからも、「日本人の自転車に対する愛を垣間見ることができる」と論じ、中国との違いを強調した。
多くの利点がある自転車だが、日本では2015年6月に道路交通法が改正され、自転車への取り締まりも厳しくなった。
自転車は道路交通法上は「軽車両」に分類され、人とぶつかれば大怪我につながる可能性もある。
アジアの自転車大国の名に恥じぬよう、マナーを守って安全に走行したいものだ。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2016年1月20日(水) 2時50分
http://www.recordchina.co.jp/a127316.html
2015年末の中国の人口は13億7400万人、
男性が女性より3366万人多く―中国国家統計局
2016年1月19日、中国国家統計局が発表したデータによると、2015年末の時点で、中国本土の総人口は13億7462万人で、2014年の末から680万人増加していることがわかった。
この数字には、香港、マカオ、台湾や海外の華僑は含まれない。
年間の出生人口は1655万人、死亡人口は975万人だった。
性別では、男性が7億414万人、女性が6億7048万人で、男性が女性よりも3366万人多かった。
総人口では、女性を100としたとき、男性は105.02となっているが、出生人口の性別比では(女性が100のとき)男性が113.51となっている。
年齢別では、16〜60歳の労働人口は9億1096万人で、前年比で487万人減少。
総人口に占める割合は66.3%だった。
なお、60歳以上の人口は2億2200万人で総人口比16.1%、
65歳以上だと1億4386万人で総人口比10.5%となる。
このほか、都市部で生活する人は全体の56.1%にあたる7億7116万人で、前年比で2200万人増加した。
一方、農村部の人口は6億346万人で前年比1520万人減少した。
年末時点での就業者の数は7億7451万人だった。
』
『
サーチナニュース 2016-01-30 16:13
http://news.searchina.net/id/1601227?page=1
日本って本当に少子化なの?
日本を訪れて子どもの数に驚いた中国人
少子高齢化が叫ばれる日本。
厚生労働省によれば、2014年の日本の合計特殊出生率は「1.42」となった。
合計特殊出生率は1人の女性が一生の間に生む子どもの数に相当する数値だ。
長期的に人口を維持するためには、合計特殊出生率は「2.07」以上が必要との見方がある。
日本の数値は人口維持に必要な水準を下回っているため、大人に比べて子どもの数が少ないということになるが、中国人が日本を訪れると「日本は子どもが多い」と感じることもあるようだ。
中国メディアの澎湃新聞はこのほど、日本を訪れた中国人による手記を掲載し、同中国人が
「日本滞在中にもっとも深く印象に残ったのは、複数の子どもを連れた日本人家庭が多かったこと」
だと主張し、少子化が叫ばれる
日本は「とても少子化が進んでいるようには見えなかった」
と論じた。
記事は、日本は世界的に見ても少子化が深刻な国の1つだと伝え、総人口も減少を続けていると指摘。
日本の出生率が回復しないかぎりは日本の人口は2050年には1億人を割り込むとの一部試算もあり、日本の国としての将来性について
「非常に厳しく、少子化という問題を過小評価する人はいないだろう」
と論じた。
一方で、同中国人が日本で実際に目にした光景からは
「少子化が深刻だとはとても思えない」
と主張。
家族連れの日本人が多い場所だったのかもしれないが、多くの日本人が1人以上の子どもを連れていたとし、子どもの数だけを見ればむしろ中国のほうが少子化に見えるほどだと論じた。
続けて記事は、日本では子どもの数が多く見えるにもかかわらず、それでも出生率が低いのは「結婚しない人」が増えていることが理由の1つだと指摘している。
内閣府によれば、50歳時点の未婚率である生涯未婚率は男女ともに近年は上昇傾向にあり、2010年の男性の生涯未婚率は20.1%、女性は10.6%に達している。
1950年の生涯未婚率は男女ともに1.5%程度だったことを考えれば、その上昇ぶりには驚くばかりだ。
また、晩婚化も日本で少子化が進行する理由の1つに挙げられるだろう。
』
『
ダイヤモンドオンライン 2016年2月9日 竹井善昭
http://diamond.jp/articles/-/85943
高齢者は適当な時に死ぬべきなのか?
今回は、人の「生き様」について考えてみたい。
「生き様」という言葉は今の日本ではほとんど死語になってしまっていると思う。
だが最近も、女性支援プロジェクトを通じて「女子とは、女性の生き様のことだ」ということに気づき、あちこちでその話をしているが、そんなときに決まってこんな質問をされる。
「それって、女性の生き方とどう違うの?」と。
簡単に言えば「生き方」とは生きるための方法論だが、「生き様」とはどう生きるかの表現論だ。
「女子」とは「女性の、あるひとつの表現論」である。
表現論であり表現スタイルであるので、年齢は関係ない。
だから、50代女子とか60代女子というものも成立する。
このあたりはいずれ詳しく論じたいと思うが、つまり今の日本では「生き方」と「生き様」の違いもわからなくなってしまっているということだ。
しかし今の日本にこそ、この「生き様」という言葉を復活させるべきだと思う。
高齢化社会がますます進むこの日本という国においてそれは重要な課題だし、もっと議論されるべきではないのか――。
僕自身、そのことについてずっと考え続けていて、当連載でも何度か触れたことはある。
だが最近、作家の曽野綾子氏の発言が話題(というか騒動)になったこともあり、今回改めて論じてみたいと思う。
この騒動は、曽野氏が1月24日付の産経新聞で書いたコラムと、それを受けた形で週刊ポスト2月12日号に掲載された記事が発端となったものだ。
産経新聞のコラムでは、曽野氏が「90代の高齢者がドクターヘリを要請した」という話を引き合いに出し、「何が何でも生きようとする利己的な年寄りが増えた」と指摘。
それを受けて週刊ポストが付けた記事タイトルは、
「高齢者は“適当な時に死ぬ義務”を忘れてしまっていませんか?」
というものだ。
この発言をめぐって、まるで「老人は早く死ね!」と言っているかのように捉えた人も多いようで、「Twitterでは批判続出」と報道するネットニュースもあった。
一方、意外にも「2ちゃんねる」の関連スレッドでは曽野さんの発言に同感する発言が多いという印象。
反対に、ブログには批判的な内容のものが多いように見える。
ちなみに当記事では曽野氏の発言の是非は論じない。
ただ、彼女の発言を批判しているブログにはある共通の(社会貢献の視点から見て)誤謬が見られるので、それはここで正しておきたいと思う。
■「人は平等に命を救うべき」
それは絶対的な正義なのか?
僕が指摘したいポイントは大きく2つある。
1].まず1つ目は、曽野氏へ反論する人たちの論拠だ。
おそらくその反論の背景には、「高齢者だろうが何だろうが、人は平等に命を救うべき」という思想があると思う。
「それが絶対的な正義である」と疑ってかかったことがない、という印象だ。
しかし、これは少なくとも欧米一般の考え方とは異なる。
これについては以前に、当連載の第115回でもお伝えしたことがあるが、
★.欧米ではいわゆる「寝たきり老人」がいない。
それは
生きる力をなくした老人は「殺してしまう」
からだ。
たとえば、イギリス、デンマークなどでは
自力で食事ができなくなった高齢者に対し、延命のための胃ろうは施さない。
スウェーデンも同様。
また、肺炎を起こしても抗生剤の注射はしないという。
ニュージーランドでは、ある年齢(たしか75歳だったと記憶している)を越えると病気になっても治療しないそうだ。
つまり、「人間は死ぬべき時に死ぬべき」という考え方だ。
こうした国では、90代の高齢者のためにドクターヘリを飛ばすのか飛ばさないのか、脳血栓で倒れた高齢者を救急車が病院に搬送するのかしないのか、そこまで詳しくはわからないが、前述した基本的な考え方から言えば、曽野氏の主張のようにドクターヘリや救急車の出動を拒否してもおかしくない話である。
このようなことを書くと「かわいそう」という感情から反発する読者もいるかと思うが、「かわいそう」という感情は極めて主観的なもので、往々にして当事者の意向を無視して「自分の正義の押しつけ」になりがちだ。
「高齢者のドクターヘリの要請を批判すること」に対して反論する人たちには、「人は誰でも生きたいと思っている」という認識がベースにあると思うが、
それでは世の中にたくさんいるかもしれない「1日も早く死にたい」と考えている老人たちの苦しみについては全く視野に入っていないとも言える。
曽野氏が引き合いに出したドクターヘリを要請した90代の高齢者にしても、ヘリを要請したのが一体誰だったのかは報道からは判別できない。
当人は脳血栓や心臓麻痺で意識を失っていて、家族が要請したことも考えられるわけで、むしろ常識的に考えてその可能性のほうが高いだろう。
もしそうであれば、ドクターヘリで搬送されたことが当人にとって本当にラッキーだったかどうかは、当人にしかわからないことだ。
■「社会に貢献していない人たち」という誤解
2].そして、僕が指摘したい2つ目のポイントは
彼らの主張のなかにある「社会に貢献していない人は死ねと言うのか?」という点。
これも「かわいそう」という「正義」による誤謬だ。
ここで言う「社会に貢献していない人」は現役引退した高齢者だけでなく、障害者や引きこもりの人たちを想定していると思われる。
そしてその根底には、「社会に貢献していない人たちはかわいそう」という感情が潜んでいる。
しかしこれはある種の差別意識だし、このような当事者を無視した同情、憐みが、逆にひどい差別を生むこともある。
たとえば、昔の日本では障害者は「かわいそうな人たち」であり、そのような人たちを働かせることは「虐待」だと考えられていた。
だから、障害者は家に閉じ込めて何もさせないことが正しいことだと考えられていた。
だが、今は違う。
ご存じのように、今の障害者支援のメインテーマは「障害者雇用」だ。
障害者の人たちに、いかに多くの働くチャンスを提供するか、働く場を作るかがテーマだ。もちろんこれは、日本の労働力不足のために行政の都合でそうなったわけではない。
障害者自身が働きたい、社会に役立つ人間になりたいと願うからこそ、そこを支援する人たちが増え、障害者雇用が障害者支援のメインストリームになったのだ。
障害者支援の最前線を走る株式会社ミライロの垣内俊哉氏は、かねて
「バリアフリーからバリアバリューへ」
と提唱している。
これはすなわち「障害者には特有の価値があり、その価値を高めていける社会にしよう」という主張だ。
ここでいう「価値」とは、何かの形で社会に貢献できるということだ。
障害者は健常者の庇護や支援を受けるだけの存在ではない。
自らが何かの価値を生みだせる存在なのだ、という思想である。
どのような人間にも価値はある。
それは、「人は誰でも社会に貢献する力がある」ということだ。
曽野氏を批判するブロガーの多くは「社会に貢献していない人は死ねというのか?」と怒るが、
僕自身は社会に貢献できなくなったらとっとと死んでしまいたいと思っているし、
これまでの社会貢献活動でわかったことだが、社会に貢献していないと思われている当事者のほとんどが「社会に貢献できる人間になりたい」と願い、そうなれない自分に苦しんでいる。
社会貢献の本質は、尊厳を奪われた人たちが尊厳を取り戻すためのお手伝いをすることだと僕は思っており、それは高齢者に対しても同じだ。
ちなみに僕の父親は75歳まで船乗りとして働いていたが、高齢のために引退した後、ボランティア活動をやろうとして近所の市民団体のボランティア募集に応募したのだが、高齢を理由に断られた。
昔の男らしく、その話を淡々と語ってくれた父だったが、社会貢献を標榜して活動している僕はその話を聞いてとてもいたたまれない気持ちになった。
なぜなら、自分の父親がまるで「あなたはもう社会からは必要とされてない人間です」と、こともあろうにボランティア団体から突き付けられた気がしたからである。
と話がそれて恐縮だが、ともあれ後期高齢者だって社会に役立ちたいと考えている人間は多いし、人間はいくつになっても可能な限り社会に貢献して生きていくべきだ。
たしかに曽野氏の今回の表現には、僕も多少疑問を感じる部分もある。
大作家に対して僭越ではあるが、もっと違った伝え方をすればよかったのに、とも思う。
「高齢者は適当な時に死ぬ義務がある」
ではなく、
「死ぬ覚悟を持て」
と言っていれば、もっと真意が伝わったのではないだろうか――。
しかしどのような表現であれ、それに批判するにせよ賛同するにせよ、言わんとしていることの本質を汲み取る「リテラシー」は必要だと僕は思う。
■「覚悟」をまっとうする最期を
迎えるということ
ちなみに、「生き様」ということに関して言えば、僕は昨年、父と母の両方を亡くした。
父親は一昨年の夏、末期癌が発見され、余命4ヵ月と宣告された。
昔の日本男子らしく恥を知っている父親は、自分がただ死を待つだけの存在になってしまったことを恥じて、病院のスタッフに恐縮しまくって入院生活を送り、医者の予告通り、ほぼ4ヵ月後の昨年正月に静かに息を引き取った。
死ぬ前日、家族で見舞いに行ったのだが、そのときはもうほとんど意識がなかった。
それでも、娘に対してかすかな声で「ありがとう」と言ってくれた。
父親の最後の言葉である。
母親も3年くらい前から認知症を発症し、自宅で転倒し腰を骨折したせいか、身体もすっかり弱り、ほとんど寝たきりの状態だった。
父親が亡くなって以降、認知症は進み、身体もさらに弱った。
昨年春頃からは自力で食事ができなくなり、点滴で栄養を補給。
しかし、ついにそれもできなくなり、鼻に経管をしていた。
認知症患者が経管をすると自分で外してしまうことがあるので、そうさせないために大きなミトン(手袋)をはめられていた。
母親はそれを嫌がり何度も外してくれと僕や弟に懇願していたが、そうすると母親は栄養がとれなくなってしまう。
なので、僕らはミトンを外せなかった。
しかし、やがて経管も難しくなり、医者からは胃ろうを打診された。
いろいろ悩んだが、胃ろうには問題も多いと聞いていたし、昔から母親は「チューブだらけの身体になってまで生きていたくない」と言っていたこともあり、医者と相談して胃ろうはしないことにした。
そして、経管も外すようにお願いした。
つまり、延命処置を拒否した。
僕は、ある意味で母親をここで死なせよう、殺そうと決意したのだ。
医者は苦渋の表情を浮かべながら、「(経管を外したら)もったとしても夏くらいまでかなあ」と言いながら、経管を外すことに同意してくれた。
そのことを母親に伝えた時、ほとんど意識のなかった母親の目から涙が溢れてきた。
その涙を見て、僕は自分の判断が間違っていないと確信した。
たいした親孝行もできていなかった僕だが、最後に少しだけ親孝行ができたのではないかと思っている。
親の死期を決めることが、親孝行になることもあるのだ。
医者の予告どおり、母親も8月の暑い日に息を引き取った。
仲の良い夫婦は片方が死ぬと残されたほうも後を追うように死ぬと言われるが、まさにそんな死に方だった。
つまり僕は、今回の曽野氏のエピソードを借りれば、母のために「ドクターヘリを要請しなかった」ことになる。
でも、それは正しかったと思っている。
父も母も古き良き日本人の「覚悟」というものを持っていた人間だったからこそ、その覚悟をまっとうするような最期を迎えるための手助けができたという意味で。
』
_