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JB Press 2016.2.8(月) 柯 隆
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45977
絶対王政に逆戻り?特権階級がのさばる中国
「改革・開放」路線で豊かになった国民はごく一部
中国で何が起きているのか、誰にも分からない。
中国がどうなるかは、おそらく中国の指導者も分からないはずである。
だからこそ「新常態」という意味不明の言葉が発明されたのだ。
今、中国社会を覆っているのは「不安」の空気である。
たとえてみれば、濃霧で前が見えない高速道路を時速100キロ以上で走っているようなものである。
衝突したりひっく返たりするかもしれないリスクを孕みながら、スピードを落とさないのはなぜなのだろうか。
最大の理由は、早いスピードで走れることが「いい車」の証明だと考えているからである。
スピードが落ちて「やはりダメな車だ」と批判されてはならないのだ。
共産党幹部は経済政策や経済成長のスピードの速さこそが自分の業績として評価されると考えている。
確かにスピードが速ければ、大きな利益を享受することもできる。
経済成長の理想的なスピードは巡航速度で安定して走ることだろう。
無理にアクセルを踏まずに本来の実力で、安全に、安定的に走ることである。
しかし今までの35年を振り返れば、中国経済はおそらく一度も安定した巡航速度で走ったことはなかった。
常に無理して高成長を実現しようとしてきたのである。
■勝ち組になれたのは一部だけ
今までの35年間の経済高成長は、農民の生活を犠牲にして実現したものだったと言って過言ではない。
否、今までの35年間だけでなく毛沢東時代も農民が犠牲になった。
「改革・開放」以降の経済成長率は年平均で10%近くに達している。
仮に大半の中国人の年収が毎年同じように増えたとすれば、中国社会はもっと安定しているはずだ。
ところが農民は経済成長の恩恵にあずかれなかった。
結局、勝ち組になったのは共産党幹部および彼らとコネを持つビジネスマンである。
短期的にGDPが急拡大しても、一部の勝ち組しかその恩恵を享受できなければ、社会は極端に不安定化する。
それがまさに今の中国社会である。
毛沢東時代の中国は地獄だったが、「人間は平等でなければならない」という理念は社会で徹底されていた。
その理念を信じてきた中国人は今どのような思いで政府を見ているのか。
習近平政権の腐敗撲滅キャンペーンで摘発された腐敗幹部の「実績」、すなわち腐敗ぶりを見て、負け組の人たち(労働者と農民)は言葉を失い、怒りに震えているに違いない。
不満が募るのは何も負け組の人たちだけではない。
共産党幹部でさえもが不満と怒りを覚えている。
1月26日の午後、中国国家統計局長・王保安氏は経済情勢分析に関する記者会見で記者の質問に答えていた。
だが、その1時間後に、共産党中央規律委員会に拘束された。
厳重な規律違反があったからだという。
詳細は発表されていないが、おそらく金銭に絡む腐敗だろうと推察される。
今の中国に清廉潔白の幹部が一体どれほどいるのだろうか。
■長らく王政だった中国
これから中国社会がどうなるかを占うために、まず、中国社会の特性を明らかにしておく必要がある。
中国共産党は、現在の社会体制を社会主義と定義する。
社会主義の基本的な要素は平等と公有制である。
しかし、この2つの条件はいずれも崩れている。
中国は平等の社会であるとは言えないし、公有制も「改革・開放」とともに崩れてしまった。
中国は明らかに社会主義ではない。
では、中国は資本主義なのだろうか。
資本主義的な要素は確かにあるが、資本主義でもない。
歴史を振り返ると中国は数千年にわたって絶対王政を続けてきた。
今の中国社会にはかつての王政の要素が多数残っている。
たとえば、指導者への個人崇拝はまさに王制の負の遺産である。
かつて毛沢東は国共内戦で蒋介石に打ち勝って北京に入ったとき、清王朝の皇帝たちの住居だった紫禁城(故宮)に住居を構えようとしたといわれている。
そして、ある日、北京の中心部に位置する北海公園で側近たちとボードを漕いでいたとき、「俺も側室(妾)が欲しい」ともらした。
農民一揆の王だった毛沢東は近代的な中国を作ることよりも、まずは皇帝になろうと思ったのだ。
また、これまでの35年間、中国社会では王政時代に戻るかのように特権階級が急速に形成され、勢力を伸ばしている。
■配慮されていない富の分配
民主主義の社会では、政治と社会を安定させるために国民の間でコンセンサスを形成することが前提となる。
権力者の政策が国民によって支持されなければ、政治も社会も安定しない。
では、国民はどのような政策を求めるのか。
それは抽象的な経済成長ではなく、そこから得られる恩恵を自らどれだけ享受できるかである。
このことを踏まえると、中国の「改革・開放」政策の落とし穴が見えてくる。
つまり、共産党は抽象的な経済発展を実現しようとしてきたが、国民の大多数にどれだけ恩恵をもたらしたかについては十分に配慮していない。
これまでの35年間で経済は確かに成長したが、富の分配については、共産党幹部を中心とした限られた者同士の奪い合いだった。
習近平政権の反腐敗キャンペーンは何を目的にしているのだろうか。
もし共産党幹部の「特権」の打破が目的ならば、習近平国家主席は中国の歴史に残る名君になるだろう。
だが、政敵を倒すためのパワーゲームに過ぎないのならば、中国社会は極端に不安定化する恐れがある。
最近の中国の政治情勢をみると、共産党は習近平国家主席を中核とする共産党中央への団結を呼びかけている。
団結の呼びかけは毛沢東の時代も鄧小平の時代も繰り返し行われたが、
党中央に対して反抗的な言動がみられるから団結を呼びかけるのである。
今の中国社会は、民主主義と市場経済への過渡期に差し掛かっている、とは言えない。
むしろ、民主主義的な市場経済にまい進するか、王政の社会主義国家へ逆戻りするか、の分水嶺に差し掛かっている。
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